神経疾患や精神疾患のより正確な診断や予後予測は、早期介入とよりよい疾患管理にとって不可欠です。従来の診断および治療パスウェイは、主に臨床面接、身体症状、医師の主観的な意見に依存しています。精密精神医学は臨床所見バイオマーカー、生物学的バイオマーカー、神経画像バイオマーカー、遺伝的バイオマーカー、メタボロミクスバイオマーカー、デジタルバイオマーカーのような多様なマーカーを組み合わせ、患者さんに対してより客観的で包括的な表現型を作成することを目的としています。1
心臓病学や腫瘍学における精密医療の成功によって、精神科薬開発の新たな道筋が示されましたが、その道のりは複雑です。がんの分野では分子標的の急増により、以前は大まかだった非小細胞肺がんなどの診断分類が、実用的なバイオマーカーの有無によって定義されるより小さなサブグループに細分化されています。
大うつ病性障がい (MDD) も同様に異種性が高く、複雑で変化に富んでいます。そのため現状では、単一のバイオマーカーでは大うつ病性障がいの表現型サブタイプを正確に特定することができません。2 大うつ病性障がい (MDD) も同様に異種性が高く、複雑で変化に富んでいます。そのため現状では、単一のバイオマーカーでは大うつ病性障がいの表現型サブタイプを正確に特定することができません。3
精密精神医学は疾患の定義から出発するのではなく、症状を特定の神経生物学的パスウェイに結び付けることで、新しい治療法でアプローチしようとしています。
パレクセルではこうした症状に対する治療薬を開発するにあたり、精密医療の手法をどのように組み込むかについて、治験依頼者と連携を強めています。まだ始まったばかりの試みで先は長いですが、重要な分野で進展が見られます。
診断バイオマーカーにより患者サブグループを特定
多くの治験依頼者は、治療抵抗性や特定のゲノム薬理学バイオマーカーを持つ患者さんなど、精神科患者のより小規模なサブ集団の特徴付けと特定に取り組んでいます。
最近、弊社はある治験依頼者の依頼を受け、治療抵抗性のある双極性うつ病患者の新しい診断サブグループを構成し、実用化しました。このサブグループについて言及した医学文献は存在するものの、過去の承認事例で明確に定義されているわけではありません。そのため治験依頼者は、FDAに受け入れられる明確な定義と診断パスウェイを開発する必要がありました。弊社は規制当局にアドバイスを求め、後期有効性試験に登録する患者さんの診断基準を提示できるように治験依頼者をサポートしました。
2024年5月にDenovo Biopharma社は、新しいゲノム薬理学バイオマーカーを検証するようデザインされた治療抵抗性うつ病の第IIb相試験の結果を発表しました。この治験は、精神疾患の治療に適した患者さんの選定に遺伝的バイオマーカーを使用した初めての事例の1つです。4
数々の研究によって様々な血液バイオマーカーが発見されていますが、精神医学ではまだ広く活用されるには至っておらず、標準化されたものはわずかしかありません。しかし多くのプロトコルで、探索的評価項目としてバイオマーカーが収集されています。弊社では新規の血液バイオマーカーや、デジタルバイオマーカーのデータに加え、ゲノム薬理学的サンプルや後成遺伝学的サンプルを収集する治験を継続的にサポートしています。治験依頼者がこれらのデータを収集する目的は、第III相試験のデザインやアウトカムの選択に役立つ探索的評価項目を評価するためであることがほとんどです。
音声サンプルや身体活動パターン (アクチグラフで測定)、エンゲージメントの特徴に基づくデジタルバイオマーカーは、大うつ病性障がいのような疾患の副次的評価項目として使用されることが増えています。治験依頼者はそのデータを多変量モデルに組み込むことで、対象患者集団における有病率を測定し、定義されたサブグループの治療アウトカムを予測できるかどうかをテストしています。
画像バイオマーカーはアルツハイマー病や他の認知症の診断や病期分類では広く使用され、有用性が高まっているものの、精神医学の治験ではあまり使用されていません。ここまでの道のりも平坦ではありませんでした。最近、ある治験で大うつ病性障がい患者を正確に分類できる大うつ病性障がいの多変量神経画像バイオマーカーを機械学習によって特定できるかどうかの検証が行われました。この治験では構造的および機能的磁気共鳴画像と、うつ病の多遺伝子リスクスコアを収集しましたが、有用な個人レベルの大うつ病性障がい診断バイオマーカーは特定されませんでした。5
生物学的パスウェイを反映する症状クラスターで患者さんを層別化
多くの治験依頼者は、患者集団のより正確なグループ化と層別化を進めています。現在の治験では、うつ病や統合失調症のような異種性の高い適応症を生物学的パスウェイをより正確に表し、明確な薬物標的を提供する個別の症状群に分けることが一般的に行われています。
たとえば喜びや快感を経験できない快感消失は、最大75%の大うつ病性障がい患者を苦しめており、他の精神疾患でもよく見られる症状です。少し前まで大うつ病性障がい患者を対象としたほとんどの治験では、患者さんを快感消失陽性サブグループと陰性サブグループに分けることができませんでした。弊社ではすべての患者さんを対象とするのではなく、中等度から重度の快感消失を有する大うつ病性障がい患者を対象に新薬を調査する治験を行うことが増えています。治験依頼者の間でも不眠症を有さない患者さんを除外し、不眠症を有する大うつ病性障がい患者だけを登録する動きが広がっています。
精神疾患の異種性は、治療反応のばらつきを生む一因となっています。目標はサブグループにおける特定の生物学的メカニズムを標的とすることで、これらの異種集団を層別化し、より的を絞った治療を行うことです。最近、弊社は統合失調症の認知障がい (CIAS) 患者を対象とした3つの第III相試験を実施しました。統合失調症に対して承認されている抗精神病薬は、臨床アウトカム不良に関連する中核症状である認知障がいではなく、幻覚や妄想を抑制するものであるため、統合失調症の認知障がい患者に対する研究者の関心は年々高まっています。6 これらの治験では、陽性・陰性症状評価尺度 (PANSS) のような従来の症状スコアではなく、認知マーカーを主要評価項目として使用しました。
最近は代謝プロファイルに基づいて、対象患者集団を絞り込む治験依頼者もよく見かけます。薬物の代謝を司るCYP2D6遺伝子によって産生されるCYP2D6酵素の活性を測定することで、患者さんを層別化しようとする治験依頼者もいます。CYP2D6活性に応じて患者さんは低活性型、中活性型、高活性型に分類されますが、CYP2D6活性を定量化することは医師が適切な用量を選択したり、特定の患者さんを除外したりするのに役立ちます。もちろんこれは神経科学に限ったことではありません。
精密精神医学は疾患の定義から出発するのではなく、症状を特定の神経生物学的パスウェイに結び付けることで、新しい治療法でアプローチしようとしています。最近、ある治験依頼者と協力し、すでに市販されている治療薬が成人のADHD患者の衝動性に及ぼす影響を調査しました。衝動性は様々な精神疾患に見られる特徴的な症状です。治験では衝動性の測定に質問票や行動実験タスクを使用します。これらの評価項目を指標として用いることで、特定の患者集団における衝動性の有病率を推定することが可能になります。治験依頼者は薬物動態データを収集し、治療後の母集団におけるばらつきと効果量を定義して評価項目の選択に役立てられるよう、初期治験で衝動性を測定するのに最適な指標を模索しています。
様々な精神疾患に共通する症状 (この場合は衝動性) をターゲットにした治療薬の開発は、神経科学における新しい領域です。腫瘍学では腫瘍の種類や体内の位置ではなく、腫瘍の遺伝子変異に基づいて患者さんを治療する腫瘍の種類を問わないアプローチが確立されています。
多くの治験依頼者は、患者集団のより正確なグループ化と層別化を進めています。現在の治験では、うつ病や統合失調症のような異種性の高い適応症を生物学的パスウェイをより正確に表し、明確な薬物標的を提供する個別の症状群に分けることが一般的に行われています。
RWEを活用してアドヒアランスデータを生成し、プロトコルを最適化
精神医学においてはランダム化比較試験 (RCT) のデータよりも、リアルワールドエビデンス(RWE) の方が患者さんや保険者にとって有用である可能性があります。RWEは文化や社会経済的地位や教育が、患者さんのアドヒアランスとアウトカムに及ぼす影響を捉えることができます。患者さん中心かつ分散型のデザインを採用すれば、長期的なデータ収集にかかる費用の削減も見込めます。
弊社はあるベンダーと協力し、スマートフォンのアプリを使用して治験薬の自己投与状況を記録し、患者さんのアドヒアランスを追跡する治験をいくつか実施しました。投与忘れなどの問題が発生した場合は、アプリから治験実施施設やモニタリングチームにリアルタイムで通知が届くため、早期介入が可能となります。しかしアプリを取り入れた治験では、外部のテクニカルサポートスタッフがトラブルシューティングを行う必要があります。
弊社はデジタル治療の実臨床試験に参加した経験もあります。一部の治験依頼者から、定期的な認知機能評価を患者さんのスマートフォンで行うことはできないかという相談が寄せられましたが、それが可能となれば理論的には従来の来院だけの場合よりも、変化を早く捉えられるようになります。
患者さんが都合の良いタイミングで利用できるコンパニオンアプリを使用することで、活動量や睡眠状態、オンラインサポートツールのデータを記録できるため、スマートフォンの使用状況を測定することは、より詳細なデジタルフェノタイピングの実現につながります。また来院に伴う負担の管理にも役立ちます。しかし大規模な治験で継続的にデジタルバイオマーカーデータを収集した場合、膨大な量のデータが生成され、分析・解釈に多大な時間と労力を要することになります。そこで弊社では、デジタル治療の治験を成功させるために不可欠な大規模データセットの分析管理プロトコルを開発しました。
リアルワールドデータは、特に併用薬、病歴、地理的位置などの患者さんの特性を定量化することで、治験デザインとプロトコルを精緻化し、裏付けるのに役立ちます。また従来の治験では見逃される可能性のある患者集団を特定することもできます。弊社では国勢調査、薬局、保険請求データなど、複数の二次データソースを用いて治験デザインに反映させています。このデータは後期段階の治験において、治験依頼者がFDAによって義務付けられた多様性を達成するのにも役立ちます。
バイオマーカーとアウトカムの相関が精密精神医学を加速化
重篤な精神疾患は平均寿命を10年縮め、患者さんは1人当たりにつき生涯185万ドルの社会的コストを強いられます。7 これらの疾患の世界的な負担の大きさにもかかわらず、精神医学への投資と技術革新は他の治療分野 (特にがん) に比べて遅れており、8 基礎研究や診断、治療、アウトカムにおける格差が依然として残っています。
神経科学における精密医療が難しいのは、明確な分子標的や病因が見つかっていないからです。しかし、より多くの研究者と治験依頼者が新しい多変量バイオマーカーデータを収集して検証し、それをアウトカムと関連付けることで、患者さんにより個別化された効果的な治療を提供できる診断と治療の枠組みに近づいています。
Contributing Expert