私たちは勇気と緊急性をもって、神経科学の研究を加速させていきます

By Andreas Lysandropoulos, M.D., Ph.D., Senior Vice President, Global Therapeutic Area Head, Neuroscience

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私は過去20年以上にわたり、ブリュッセルの大学病院の神経免疫内科長や治験責任医師として、Ipsen社およびSanofi Genzyme社のメディカルアフェアーズ責任者として、そして多発性硬化症 (MS) 患者を支援する国際的な非営利組織の共同設立者として、神経科学の進歩をさまざまな立場から見守ってきました。

神経科学の研究は転換期に差し掛かっています。数十年前に心臓病学や腫瘍学がそうであったように、科学的、臨床的、商業的な面で急速な発展を遂げる態勢が整いつつあります。私がそう考える根拠は、近年の3つの傾向にあります。1つ目は、神経疾患や精神疾患のメカニズムと病態生理の理解につながる小さな進歩が加速していること。2つ目は、アルツハイマー病 (AD) や大うつ病性障がい (MDD) のような疾患の個人的・社会的負担が世界的に高まり、顕在化するにつれ、新たな危機感が芽生えていること。そして3つ目は、近年、治療が困難な適応症において良好な治験結果と販売承認件数が増加しており、規制当局が神経科学の代替評価項目に対して柔軟な措置を取り始めていることです。その証拠に2024年9月26日にFDAは、30年以上ぶりに新規作用機序を持つ統合失調症治療薬を承認しました。1

神経科学の研究は転換期に差し掛かっています。数十年前に心臓病学や腫瘍学がそうであったように、科学的、臨床的、商業的な面で急速な発展を遂げる態勢が整いつつあります。

転換期に達すれば、進歩はとどまることを知りません。しかし、まだその段階に達したとは言えないでしょう。安全で効果的な治療を必要とする患者さんに届けるためには、まだ大きな課題が残っています。

進歩を阻む障壁

保守的な姿勢:神経科学の治験依頼者と規制当局は、近年有望な治験データや新たな発見が多数報告されているにもかかわらず、依然としてリスクを嫌う傾向にあります。神経科学の治験は失敗率が高く、大手製薬会社の神経・精神疾患研究からの撤退が続いている現状を考えれば、これは自然なことです。2

医療アクセスとインフラの格差:神経疾患や精神疾患に苦しむ人々の間には、診断や治療機会の格差が存在します。世界には診断や治療のためのツールや知識、トレーニングが不足している医療機関や医療従事者も多く存在します。これはインフラの問題です。国際アルツハイマー病協会 (ADI) は、認知症患者の75% (4,100万人) が診断を受けておらず、認知機能が低下している人の70%がアルツハイマー病であることを自覚していないと推定しています。3 さらに認知機能が低下している人の多くは、脳血管性認知症や前頭側頭型認知症、アルツハイマー病、うつ病による機能障がいなどを区別できる専門医のいる医療機関にアクセスできる環境にありません。

不完全な科学的知識: 腫瘍学と心臓病学では、プレシジョン メディシンが患者さんにどのような恩恵をもたらすかのロードマップが確立されています。しかし、それらの分野と神経科学を単純に比較することはできません。最近の進展にもかかわらず、脳は依然として未解明のままであり、実用的なバイオマーカーを発見して検証することが容易ではないことが証明されています。

進歩の原動力

評価項目の改善:神経学や精神医学の治験では、評価項目の選択と解釈が主観性、複雑さ、疾患進行の遅さ、異種性、プラセボ効果、意義、規制の制限、感度、文化的・言語的障壁、併存疾患、天井効果・床効果、評価者間のばらつきなどの理由から依然として大きな課題となっています。ここで参考になるのが、多発性硬化症 (MS) における治療の進歩から得た教訓です。従来の総合障がい度評価尺度 (EDSS) と年間再発率 (ARR) には限界があることから、研究者も患者さんも疾病のメカニズムや、患者さん自身に関連した繊細な評価項目を求めるようになりました。その結果、近年の治験ではSDMT (記号数字モダリティテスト) やT25WT (時限25フィート歩行テスト)、9HPT (9ホールペグテスト) などの新しい評価項目や、MSFC (MS機能複合)、NEDA (疾患活動性の証拠なし)、PIRA (再発によらない進行)、直近ではSAW (くすぶり型関連の悪化) などの複合スコアが使用されるようになっています。MRI (多発性硬化症病変と脳容積減少) や、血清ニューロフィラメント軽鎖 (sNfL) 濃度などのバイオマーカーも多発性硬化症の治験に組み込まれています。

より信頼性の高いバイオマーカー:早期診断と疾病治療モニタリングのための、信頼性が高くアクセスしやすいバイオマーカーが不足しています。たとえばアルツハイマー病の場合、患者さんの多くはPETスキャンを受けることができない状況にいます。仮にできたとしても、PETスキャンはさまざまな理由から100%信頼できるわけではありません。最近ではある治験で、アミロイド確率スコア2 (APS2) という簡単な血液検査により、アルツハイマー病の病態を91%の精度で検出できることが報告されました (認知症専門医による診断精度は73%、プライマリケア医師による診断精度は61%)。アルツハイマー病の発症リスク予測バイオマーカーとしてのAPS2の妥当性はまだ検証が必要ですが、5 信頼性の高いバイオマーカーは、さまざまな疾患の医薬品開発と患者ケアを最適化する手段として非常に有望な可能性を秘めています。

患者主導の治験デザイン:神経科学の治験は他の治療分野よりも負担が大きく、期間も長い傾向にあります。患者さんの募集と参加継続は重要な課題ではありますが、患者さんや治験実施施設にとって実現可能で現実的な治験をデザインすることで克服できます。最近、弊社が実施した統合失調症治験の患者負担分析により、患者さん中心の戦略によって治験来院の複雑さを軽減し、期間を短縮できること、そして患者さんと介護者の支援体制を整えることで治験への関心を高め、継続的な参加を実現できることが判明しました。6 患者さんにとってどの症状が最も重要かは、患者さん自身が一番よく理解しています。そのため治験依頼者と規制当局は、患者さんに焦点を当てることで、最適な評価項目を選択できるようになります。弊社の調査では、既存の臨床転帰評価では多発性硬化症患者の顕著な症状や、生活の質に対する治療効果を把握できないことが分かっています。7 臨床的意義のある評価項目を用いた効率的で十分にデザインされた治験に、患者さんの意見や日々の現実を反映させる能力は、ここ数年で飛躍的に高まりました。

人工知能:精密神経科学はあるべき水準にはまだ達していませんが、着実に進歩しています。これを実現するにはバイオマーカーが不可欠ですが、他にも手段はあります。パレクセルでは精神疾患の治療薬の開発を目指す治験依頼者に対して、患者集団のより正確なグループ化と層別化など、プレシジョン メディシンの手法を治験に組み込む方法を提案しています。最近の治験では、うつ病や統合失調症のような異種性の高い適応症を、生物学的パスウェイをより正確に反映した明確な薬物標的を提供する個別の症状クラスターに分けることが一般的に行われています。またAIベースのアルゴリズムが、進行リスクの高い患者さんの選別、ひいては治験期間の短縮に役立っています。

大胆さと勇気:理解は試行錯誤によって得られるものですが、失敗すれば世間の注目を集めたり、高い代償を伴う場合もあります。また研究にはそれなりの投資も必要です。パレクセルでは治験依頼者に対し、革新的な治験デザインと新しい評価項目を活用することでリスクを最小限に抑える方法を提案しています。適切な適応症と評価項目を設定した十分にデザインされた適応型治験やバスケット型治験により、初期開発プログラムの規模を抑え、よりスマートな継続や中止の意思決定を行えるようになります。また規制当局と密に協力し、厳格な実現可能性テストを行うことで、これらのアプローチにおけるリスクを軽減できます。がんの分野では小規模なバイオテクノロジー企業が革新を牽引していますが、神経科学でも同じ傾向が見られます。2024年に神経科学化合物に付与された画期的治療薬指定13件のうち12件は、新興企業が創製したものでした。8

パレクセルでは治験依頼者に対し、革新的な治験デザインと新しい評価項目を活用することでリスクを最小限に抑える方法を提案しています。

緊急性:腫瘍学の分野では、研究開発に「スピード重視」のアプローチを採用することで創薬プロセスを変革し、患者さんに利益をもたらしました。神経科学コミュニティも神経疾患が個人や社会にもたらす負担や危機の重大さを鑑みて、それに見合う緊急性を伝えていかなければなりません。認知症による世界の経済的負担は1兆3,000億ドル(195兆円)にものぼり、その額は世界第17位の経済大国にも匹敵するとADIは推定しています。9 神経疾患と精神疾患は進行の速度が遅いことが多いですが、時間は重要です。治療を早期に開始する必要があります。世界保健機関は成人の精神疾患の半数が14歳までに発症すると推定しており、うつ病や不安障がいは世界中の青年における疾患や障がいの主要な原因となっています。10 しかし、ほとんどの症例が見過ごされ、治療もされないため計り知れないほどの社会的損失を生み出しています。この悪循環を食い止めること以上に急を要する課題はありません。

腫瘍学の分野では、研究開発に「スピード重視」のアプローチを採用することで創薬プロセスを変革し、患者さんに利益をもたらしました。神経科学コミュニティも神経疾患が個人や社会にもたらす負担や危機の重大さを鑑みて、それに見合う緊急性を伝えていかなければなりません。

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